『大麻の歴史』1900年代〜前半

20世紀-初頭

ハシシ(ハッシュ)喫煙は中東全体で依然として非常に人気がありました

1906年

アメリカにて純正食品・薬品法(The Pure Food and Drug Act)は、アルコール、オピウム、コカイン、大麻、その他の成分が含まれている商品にラベルの規制を定める

1910年

メキシコからの移民到来によってメキシコ革命が始まる

その頃の大麻使用は医療用として通常知られていたが、アメリカ社会に嗜好での大麻使用を取り入れたのは彼らメキシコ移民達でした

1914年

アメリカのハリソン麻薬税法(The Harrison Narcotics Tax Act)は大麻を含めた、その他のドラッグ使用を犯罪と定義した

1916年

米国農務省(USDA)研究員主人Jason L. MerrillとLyster H.Dewey はある麻繊維のパルプ(植物繊維)から紙を作りました

「木のパルプからつくった紙と比較すると、麻で作った紙の方が好都合である」とUSDA Bulletin No.404に記録されました

ジャック・へラーの本”The Emperor Wears No Clothes”によると、the USDA Bulletin No.404の記録でヘンプ紙と木の紙、年に一回の回転で20年間に渡り実験したところ、同じ量の紙をつくるパルプを生産するには『ヘンプは一年で1エイカー(4,046㎡)、木の紙は一年間で4.1エイカー(17,000㎡)の木を倒して作られた』と書かれています

そして紙を作る際パルプ繊維に結合している糊のようなリグニン(lignin)を壊す汚染硫黄ベースの酸性化学物質の使用を1/4から1/7に抑えられ、ソーダアッシュを全く使わない事も可能

大麻紙製造過程では、木の紙を作る過程に必需とされる塩素系漂白剤(chlorine bleach)の代わりに、安全な過酸化水素を漂白過程で使用し、ダイオキシンが川へ流れ出る問題を避けて作られた

この1916年に行われたような麻パルプ紙製造が、もしも現在合法ならコンピューター印刷紙、段ボール箱、紙袋を含めた約70%の木の紙を大麻紙と取り換えられる事ができます

それにも関わらず、大麻からできた安い新聞紙などの大量生産は世界中どの国でも開発されていません

麻を業界から追い出すのは簡単でした

ほとんどの工場はすでに大金を費やして木紙、綿、羊毛、リネンを扱う設備に多額の投資を行っていたため、大麻にはごくわずかなお金しか投資されず、大麻だけが取り残されてしまったのです

1915〜1927年

アメリカで、医療目的以外の大麻使用の禁止が始まる

最初に禁止が始まった州は、カリフォルニア(1915年)続いてテキサス(1916年)ルイジアナ(1924年)ニューヨーク(1927年)と順に続きました

1919年

米国憲法第18改正はアルコールの製造、販売、運搬等の行為を禁じ、マリファナは麻薬使用の増加を誘発する物質であると位置づけしました

1920年

ギリシャの独裁者イオアニス・メタクサス(Ioannis Metaxas)はハシシ喫煙を弾圧

ハシシはギリシャ、シリア、レバノン、トルコ、中央アジアからエジプトへと密輸された

1924年

ロシアの植物学者が、もう一つの主要な植物血統として分類したのがカンナビスルデラリス(Cannabis ruderalis)。

1926年

レバノンでのハシシ生産が禁じられる

1928年

英国で嗜好目的で大麻使用が禁止されました

1930年

中国系トルコ人のヤルカン地方で91,471kgのハシシを合法的に北西境とインドのパンジャブ地方へ輸出を始める

中央アジアからインドへ、合法税でのハシシ輸入は続く

1933年

米国憲法第21条改正案(改正XXI)は、1919年1月16日に全国的に禁酒を命じた米国憲法第18条改正案を廃止した。

アルコールの禁止が終わり4年後、完全にマリファナの禁止へ力を入れる

1934年

中国政府はヤルカンドでの大麻栽培、チャラス(別名:ハシシ、大麻樹脂)の運搬に終止符を打つ

中国系トルコ人の中でハシシ製造が非合法になる

1936年

アメリカのキャンペーン映画、”Reefer Madness(リファー・マッドネス)”は大麻に悪いイメージを植え付け、若者達を怖がらせて大麻使用を遠ざけさせるために作られました

1937年

アメリカ国会は麻薬を犯罪化する大麻税(Marijuana Tax Act)を決める

Dr.William C. Woodwardは議会に対して、「大麻が危険なドラッグであると言う証拠が無い事を全米医師会(The American Medical Association )は知っている」とAMAに代わって言い渡した

そして、「未来の研究で、大麻の医療的使用が重要であるということがすぐに示される、と言う事実を見失っている」 と更に大麻の禁止について警告するが、彼の訴えは議会に無視される

1937年この法が可決された議会の証言の一部は、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有する新聞の記事から得たもの

その男とは、彼の新聞印刷紙が製造されている木材産業に重要な金利を持っていた

1941年

大麻はアメリカの薬局方(The US Pharmacopeia)から消され、医療の為の大麻使用は知られなくなる

1942年

戦時のCIA前任者である、戦略諜報局(the Office of Strategic Service) で働いていた米国科学者は、敵のスパイと捕虜の心理的な防衛心を取り払う化学物質の開発を始めた

質問に切実に答えてもらう状態を誘発することができる薬を作り出すべく、戦略諜報局の科学者達はいくつかの化合物を試した後、大麻の強力な抽出物を“最高の自白薬” として選びました

この大麻の調合にはTruth Drug(真実のドラッグ)の頭文字、”TD” とコードネームが付けられました

1945年

合法ハシシの消費はインドで続きギリシャでもハシシ使用が再度流行する

1951年

アメリカのThe Boggs Act (ボグス法) と the Narcotics Control Act (麻薬取締法) はすべてのドラッグに対する罰金を引き上げ、必須の刑を定めた

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